学びは自由であるべき理由
学問とは
学問は、自然の原理に対して興味や関心を抱いた人が、観察・考察・研究の末にたどり着いたものです。そこから定理や公式を生み出しています。そして、文明の発展に貢献してきました。
もともとは、知りたい!という気持ちから生まれたものです。それが今では「テストで良い点数を取るため」「受験があるから」「進学しなくちゃいけないから」「勉強できないと仕事ないから」と、本来のあるべき姿を見失いつつあります。
勉強をやりたくない!ということは本来あり得ません。なぜなら、人間は好奇心の塊だからです。新しいお店を発見する、旅行に行く、これも勉強。知らない国の人に道を訊かれ、必死に答えた、これも勉強。スポーツのルールを覚えた、これも勉強。私たちは、常に勉強をしているのです。
子どもたちを評価する道具になってはいけない
学問は、子どもたちに優劣をつけるために生まれたわけではありません。子どもたちに自然界のすごさを知ってもらい、今後の地球の発展のために、さらに多くの研究をしてもらいたいのです。
最近になって、学校のテストで点数が取れる、受験に合格できる、それが素晴らしい子、という判断のために学問が使われています。
興味を持ったことをとことん追求していけば、必ず大きな発見に結び付きます。自由研究は面倒な課題ではなく、やらされる課題ではなく、楽しいものであるべきであり、夏休みに限らず、いつでも研究はしていいのです。人間の一生は実験の繰り返しです。
大人が楽しんでいるか?
大人が学問を楽しんでいますか?会社で昇進するためにTOEICを受けなければいけない…なんて発言をしていませんか?就職に有利だから資格を取るなんて考えていませんか?本来は、学びは楽しいものです。その気持ちがない状態で、子どもたちに「勉強をしなさい!」と言っても、響かないのは当然でしょう。
まとめ
これからは、人生120年とも言われる時代です。生きるために働き、働くために生きる時代ではなく、いかに思考して、人生を楽しむかの時代です。楽しく学び、アイデアを出し、楽しく共存していけるコミュニティを作る時代にきているのです。