世界観フェス登壇レポート

誰もわからない世界観フェス

世界観フェス初開催で、誰もわからない状態で、世界観を語る。私にこの話が来たときのセリフは「神社で教育イベントやりましょう!杉田先生は一番手でお願いします!」それだけ。当然返事は「やりましょう!」だ。
しかし、これだけでは終わらない。私は当然この質問をした。「ところで何を話せばいいですか?」と。返ってきたのは「好きに話してください!」答えになっていないようで、まさにこれが最高の答え。”あなたの世界観を好きなだけ語ってくれ”ということなのだ。

正解はそこにはない

正解はそこにはなくて、自分たちで作るのだ。前例がないものは作ればいい。この感覚があるかどうか、それが世界観を持てるかどうかに繋がる。世界観に正解はなく、誰かが用意するわけでもなく、自分で作ったものだけが自分の世界観となる。自由に話していいと言われた各講師陣の話が、結局ひとつのところへ向かう。
つまり、どの講師陣も伝える言葉が違うだけで、伝えたい本質は同じなのだ。自分で自分の世界観を創り上げているからこそ、声がかかったのだろう。それを感じた。

客席の涙

登壇していても、話していても、その相手が100人以上でも、1対1のコミュニケーションが100個あるだけ。そうしてひとりひとりを見ながら話をして、世界観の話で涙を流す人がいた。世界観という目に見えないものが伝わっているのだ。
当然、涙を流していない人からも”感動しました!”との声をいただいた。見えないものが講師陣の言葉、いや人生そのものにより、多くの人へ伝わったのだ。

世界はどこまでいってもイチでしかない

私たちはどこまでいってもイチでしかない。最終的には、自分で自分の世界観を見つけるしかないのだ。いや、すでに自分の中にある世界観に気づくしかないのだ。そのイチの集まりが世界観フェス、つまりコミュニティなのだ。
私たち(参加者含む)が向かうべき場所は、この世界観フェス終了後から何が出来るのか?それは個人個人がリアルな社会で何をするのか?と、この場で繋がった人たちが何をするのか?の、両方だ。世界観を知るきっかけは、まだ0.1歩目に過ぎない。これだけでは1歩も踏み出せていない。
さぁ!ここからどう踏み出すのか?それをどう楽しむのか?枠に捉われないことと、常識に捉われないことと、尖ること、これが必要である。

世界観フェス登壇講師 杉田真吾

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