教育の次の一手

来ると言われていた変革がいよいよやってきた

今回は”たまたま”コロナウイルスという形で、これまでの当たり前を見直すときが来た。早かれ遅かれ時代の変革は起こるのだが、さすがにウイルスがそのキッカケになると予想できた人は多くないはずである。このくらい大きなライフスタイルの変化が起こるのがまさに”変革”というものだ。数年後にはAIの時代が来るとわかっていた私でも、2020年初旬からこれだけ大きな変革が起こるとは思っていなかった。1年後3年後5年後を見据えて動いていたプロジェクトも、早急に動く自体となった。

私が気をつけているのは”流れに任せる”こと

水に流されると人はとっさに逆らおうとしてしまうが、本当は流れに任せながらゆっくりと岸へ向かうのが一番の対処法。これと同じく、時代の変革に逆らおうとすることや、その場に留まろうとする行動は、より時代の変革の波に飲み込まれて、溺れてしまうことになる。この波に逆らわずにリラックスして流されるほうが、実は楽になれるのである。私はそれだけを気をつけている。

波はひとつだけではない

私たちの世界は常に変化している。ということは、変革の波は一度ではなく、何度も何度もやってくるという考えが普通だ。そこで必要になるのが「正解のある問の答えを求める」教育から「正解の無い問の答えを作り出す」教育なのだ。変革に正解はない。自分たちで自分たちの正解を見つけていくのだ。誰も答えは知らない。自分たちで答えを作り出し幸せを感じられたら、それはその人たちの「正解」の1つになる。自分たちで出した答えでは幸せになれなかったとしても、それに早期に気づき考え方を変えられたら、それも「正解」。これから、変革のたびに自分の在り方を見つめ直し、幸せを感じられるようにすればいいのだ。

教育改革は大人の意識改革

教育と聞くと「子どもたち」のテーマであるようなイメージがあるが、教育の問題とは大人たちのテーマなのだ。子どもたちにはもともと何の問題もないのだ。大人の価値観(多くが昭和や平成の価値観)を子どもに押し付けて、言う事を聞かないと「ダメな子」みたいになっているが、実はダメ子は、私を含めた大人なのである。今あるテクノロジーはフルに使わなければ意味がないし、使いこなせる子どものほうが生きやすいはず。それなのに、自分が子どもの頃になかったものは、今の子どもにも必要ないと思ってしまう。数学の答えが時代の変化とともに変わることはないが、人生の在り方は時代とともに変化している。教育とは、子どもから大人へ突きつけられているテーマなのだ。スマホは良いのか悪いのかの議論など論外で、子どもたちは生まれた頃からスマホがあるのが当たり前で、なぜ議論になるのか?が意味不明なのである。良いも悪いも、スマホがそこに存在している、ただそれだけである。

教育者も次の時代へ

これからの教育者は、自ら正解を作り出していくことのできる人。つまり、人生のお手本となれる人が教育者なのである。いや、もともとそうだったはずだ。いつからか、問題の解き方をたくさん知っている人が教育者というようなイメージになってしまっていた。変化に柔軟に対応し、人生を楽しんでいる人が教育者であり、子どもたちもそんな大人を教育者と慕うようになる。さぁ、教育はおもしろくなってくる!「これからはホンモノの人が生き残る時代」などと目にするが、今まではニセモノだらけだったとわかっていたということなのだろうか?何も心配することはない。ホンモノになりたいかどうかは、自由に選択ができる。自分を生きていれば勝手にホンモノになり、人がついてくるようになる。自由に選べる時代なのだ。と自分に言い聞かせている今日この頃である。

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