教えない教育とは
教育の意味
教育とは、「教えて育てる」の意味だと思ってもかまいません。ただし、大切なのは、何を教えるのか?です。
先生が解法を教える(生徒は解法を教わる)ことが教育ではありません。勉強のやり方(進め方)、勉強したことが将来どのような場面で役に立つのか、これから社会はどのような方向へ向かうのか、これを教えるのが教育です。(そして誰が教えるのかが重要です)
勉強自体は誰かに頼るのではなく、自分でやらなければ意味がありません。
本来大切なはずの「勉強の方法」や「意義」よりも、自分でやらなければいけない「問題の解法」を先生に教わってしまい、それを「勉強」と呼んでいる人が多いのが問題なのです。全く見当違いのことをやっているということです。
教えない教育とは
教えない教育とは、「解法を教えない教育」のことです。自分で考えて問題解決が出来るように導いてあげる教育です。
「そんなことが出来るのか!?」と思う人が多いのですが、では質問です。それが出来ないという理由を説明出来る人はいるでしょうか?
とある学校の校長先生が校則を廃止しようとしたそうです。そのときに教員から出た意見は「そんなことをしたら学校が荒れてしまう」、つまり「無理だ」ということです。教育者が挑戦する前から諦めているのです。こんなことでは次代のリーダーなど育つはずもありません。
もちろん、ここの校長は次代のリーダーですから、校則を廃止するわけです。
考えてみてください。校則が無いとルールを守らないって、なぜ決めつけているのでしょうか?子どもたちがそこまでバカだと思っているのでしょうか?この場合、子どもを信じることが出来ない大人のほうがバカなのです。
私たちには0歳から日本語専属家庭教師がついていましたか?ほとんどの家庭ではそんなことはないはずです。ではなぜ、日本語が話せるのでしょうか?それは、勝手に子どもが学んだからです。
もうわかりましたね!学べる導線だけを準備すれば人間は勝手に学べるのです。赤ちゃんでも出来るのですから、大人にも出来ます。
画一的な教育に意味はない
こういうことを言うと、昔からある教育を否定しているように捉えられるのですが、そうではありません。その時代にあった教育があるので、昔ながらの教育は高度経済成長期には必要不可欠な教育であったのは確かです。しかし、時代が変わったのでお役御免という、ただそれだけのことです。
今ほどテクノロジーが発展していなかった時代と、今で、なぜバカみたいに同じ教育をやっているのでしょうか?ということです。
今、生まれてきている子どもたちは、時代に合わせて生まれてきているので、電子機器の操作などに抵抗がなく、すんなりと覚えます。これらのテクノロジーを駆使して生きていかないと、生きづらくなる世界だということをわかっているからです。
この時代に「機械の操作が苦手で…」と言っている親は、ぜひ子どもから教わってください。スマホひとつで100万でも200万でも仕事をして稼げる時代です。労働の対価として給料を稼ぐというやり方だけではないのです。
教育もたくさんの選択肢の中から、自分の意志で、自分の責任で選ぶ時代がきます。「みんなが行ってるから」「とりあえず」なんて人は誰からも信用されない時代になります。なぜなら、そこに本人の意思がないからです。
新しい時代を生き抜くために
私の「教えない教育」メソッドは簡単です。全て自分の意思で決めさせるということです。どの科目の、どのページを、どのペースで取り組むのか?そして、その根拠は何なのか?それだけです。あとは、自分で決めたように、自分の意思で、自分との約束を守ればいいだけです。
自分に甘い課題を出せば、自分の数字は変わらないし、自分に厳しい課題を出して実行すれば、成果が表れるかもしれません。
自己分析も自分でやり、自分で目標達成感覚を身につけることこそが、これからの時代に必要なことです。○○高校に合格した、○○大学に合格した、○○株式会社に就職した、そんなことでは幸せにはなれません。自分の意志で自分の人生を歩む人だけが、幸せになれる時代なのです。
当然、指導する大人が、自分の人生を自分の意志で歩んでいる軸のあるブレない人でなければならないのは、言うまでもありません。